水中写真家むらいさち 水中や海辺を主に取材するフォトグラファー ハワイ、沖縄、御蔵島ドルフィンスイムのフォトギャラリー等を掲載
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NAME:Murai Sachi

経歴:
沖縄のダイビングショップで4年間働き、その後、写真学校に通う。

広告カメラマンの助手としてスタジオに入社。 一年間、数々の撮影に立ち合う。

その後、株式会社水中造形センターにカメラマンとして入社。
「マリンダイビング」「海と島の旅」「マリンフォト」「ダイビングスクール」
などの雑誌取材の為、国内を始め世界中を取材で訪れる。

2002年、下北沢にて、モノクロのイルカを題材にした写真展『Radians』を行う。

2004年7月、フリーカメラマンとして独立。
旅・人物・水中・海など今まで以上に幅広い分野で活動中。

BLOOD TYPE:B
B型の人は変な奴が多いと何処でも敬遠されてしまうが、
まともな人からはまともな物しか生まれないと思っている。
それじゃ面白く無いでしょ?

ちなみに親友はみんなB型です。

星座:乙女座
ロマンチストらしい乙女座、確かにそうかも。
でも、どんなに歳を取ってもロマンチストでいたいと思ってます。


Sachiの過去
小学生〜:東京で生まれる。小さい頃は泣き虫だったね。いつも泣いていた。
クラスでは目立ちたがりの恥ずかしがり屋だったかも。まあ小心者ってことで。それは今も変わらないかも。
しかし小学生の頃が一番悪かったかな。授業さぼって(これは何回かあった)見つかってずっと正座とか。
おかしな学校で隣が火葬場だった。だから一日何回も霊柩車が通って、その度にクラスのみんなで親指隠した。
しかも必死に(笑)。
信じてたもん親が早死にするって。小学生だから気にならなかったけど、あの匂いはないよな〜。

中学〜:中学はなんと坊主の学校でお洒落もなにもなく、いっつもジャージだった(笑)。
でも不思議とみんな坊主だから、何の疑問も持たず3年を過ごした。
なんと卒業した次の年から坊主中止(聞いた時はボウズンとした・・・ごめんなさい)。
スクールウォーズなんかが流行っててクラスの男みんなでラグビーに燃えたな〜。熱かった。
一応バスケ部に所属していたけど、ラグビーの方が楽しくて、あまり部活には行ってなかったかも。
今はバスケがやりたいっす。誰か一緒にやりませんか?
この頃、「彼女が水着に着替えたら」という映画を目にし、初めてダイビングという物を知る。

高校〜:共学だと思って入ったのに実は男女校つまり校舎が別でほぼ男子校だった(凹)。
実は小学校の頃からラグビーをやっていてその流れでラグビー部に。今でも夢に見るほど辛かった。
練習も先生も当時は嫌いだったけど、今思えばあれだけ一つの事に向かってみんなで一生懸命で来た事って、
幸せな事だと思う。まさに青春だったな。みんなで泣き笑い出来た事を誇りに思います。
結局最後の大会は6回戦目(東京は出場校が多くて)で破れベスト8止まりだった。
その後大学に行こうかとも考えたけど、じっと机にかじりつくのはもう無理と判断し専門学校に。
今でもこの選択は良かったと思ってる。

専門〜:リゾートビジネス学科という学科に入学。
実は中学の時に見た映画が頭から離れず、その時に友達に宣言した「おら、沖縄に行ってインストラクター
になるだ〜」という思いを実行に移すべく、この学科に入学。何故かというとダイビングのライセンスが
取れるためだった(両親ごめんなさい)。学校に入ってからはバイト代をダイビングに注ぎ込み、
ダイブマスターという一応仕事でダイビングが出来るという資格までを取得。こっちでの就職も決まっていたが、
「きっと今しか出来ない」と考えそれを蹴って沖縄のダイビングショップへ。
沖縄にすら行った事のない僕は、行くまでは毎日不安にさいなまれた。
専門学校での思い出は薄いが、初めて伊豆以外の海を体験、オーストラリアのグレートバリアリーフ、
まさにテレビで見た世界だった。ますます海にハマったのもそれからかも。

沖縄〜:
ついにきた沖縄。
青い海、青い空、ギャル沢山のはずがギャルに構っている暇もない程忙しく、
ちょっとウハウハを期待してた僕は肩透かし。
ほとんど素人ダイバーだった僕は技術的にも全然分からないし、社会経験もなかったので最初は相当苦労した。
仕事はとてもきつく、夏は全く休みがなかった。でもいろいろなお客さんと接するのは楽しく、
沖縄にいる間ほとんど洋服を買わなくて良いほど可愛がってもらいました。
友達にも恵まれ、しんどいながらも楽しい毎日だった。今思えばあんな綺麗な海が、目の前にあるなんて
とても幸せだよね。いつかはまた住みたいな。
その間に夢だったインストラクターにもなった。
沖縄にいる間写真に触れる機会はなく、ビデオばかり回してた。
唯一写したのがお客さんを連れて潜りに行ったマレーシアで、お客さんのカメラで写したくらいかな。

東京:東京に戻りぶらぶらしていた頃毎日。「何がしたいのかって」自問自答の日々。
それでやってみようと思ったのが昔からやりたかったカメラだった。
それからはなんだかふっきれ、皿洗いのバイトを辞め、写真のラボにバイトで入ったり、
写真のスクールなどに通い出しOLの人達に混ざり勉強した。
やればやるほど面白く、なんとか仕事にしたいと考えだした。
その時、写真学校でお世話になっていたカメラマンの人に、助手にならないかと誘いを受け晴れて写真の世界へ。
その人は広告カメラマンをずっとやっている人で、昔「広告写真大賞」をいうのを受賞したほどの人だった。
かと言って厳しい訳でもなく、とても良い人だった。もちろん写真はとても上手く尊敬出来る人でした。
写真なんてほとんど知らない僕を気長に面倒を見てくれて、今でも感謝の念でいっぱいです。
しかし、今思うともっと学んでおけば良かったと思う、自分で写しだすと分からない事だらけだから。
実感しないと分からない事って多いですね。

そして今:
助手時代に知り合った人に紹介され、海関係の出版社へ入社。まだ一人立ちは早いと思い悩んだが、
これも何かの縁だと思いお世話になる事に。
もちろん水中写真などやったことがなかったので、時間があれば伊豆に行き写真の勉強をした。
陸上と違い自由が効かない水中写真は難しく、雑誌で使えるレベルまで上達するのに一年以上はかかった。
それからは、日本を北から南まで取材しに歩き、海外もあちこち取材に出掛け4年間海漬けの生活を送りました。
初めて大きな組織で働きその楽しさや難しさを味わい、いろいろ勉強になる事が多かった。
スタッフには恵まれ、社長をはじめみんなには可愛がってもらい楽しい4年間を過ごしました。
そして2004年7月より、フリーランスになる。
これからは、いろいろな仕事をしながら、世の中の多くの人に自分の写真を見てもらえる様に発表していくつもりです。
いつでも目標は「見た人が幸せになるような写真」です。

この気持ちを忘れず、これからも日々精進して行きます。

Copyright(c)2005-2007 Sachi Murai.All right reserved.